今年はいつまでも暑い日が続き秋の訪れもゆっくりでしたけれど、立冬も過ぎて木々も徐々に美しく色づいてきましたね。
おわら風の盆から金沢への旅行の記事も、長い期間引っ張ることになってしまいまして、今回が最終となりました。
本当にごめんなさい🙇♀️
お宿、金城樓を朝食の後ゆっくり拝見させて頂いた後、タクシーで金沢駅に行きロッカーに荷物を預け、兼六園の隣にあります成巽閣(せいそんかく)に向かいました。
「夏衣裳と調度展」が開催されています。
昭和13年に旧国宝、昭和25年に重要文化財に指定された成巽閣は、前田家13代斉泰が1863年(文久3年)に、母堂にあたる12代奥方、真龍院(鷹司隆子)のために造営した奥方御殿です。
真龍院の生家、鷹司家の御殿が辰巳殿と呼ばれていたことや、金沢城より巽の方向にあることなどから、当時は巽御殿(たつみごてん)と名付けられました。
大政奉還、王政復古を経た明治7年に、斉泰が今日の成巽閣という名に改めました。
江戸時代末期(1860年代後半)の武家造りの構造物としては類をみないものと高く評価され、又大名正室の御殿としては日本国内に唯一現存する建造物です。
大名書院造りと数寄屋風書院造りの二つの様式を持つ建造物は、風格ある佇まいが印象的です。
前田家の財力は異例な程相当なもので、隅々まで母君への心使いに満ちた優しく雅な空間は素晴らしく、展示されています夏衣裳の小袖なども全て未使用ではないかと思える程状態も良く美しく、豪華なものでした。
又各部屋や廊下のケースに陳列された美術工芸品は、贅を凝らしたその意匠や細やかな細工などが余りにも見事で、いくら眺めていても見飽きないほどでした。
庭以外は撮影禁止でしたので、ご覧になって頂けないのがとっても残念です。
ポストカードより
こちらでもじっくりと拝見した余り、食事の予約時間が迫ってしまいました💦
成巽閣からそれほど離れてはいない場所の旧県庁舎跡地にできたしいのき迎賓館の2階に、フレンチのお店「ジャルダン ポール・ボキューズ」があります。
急ぎ足で向かっている途中カラスが道に佇んでいて、側を通っても逃げもせず、余りの暑さに長い間ずっと口を開けたまま一点を見つめてほうけているのですよね😆
可笑しくて3人で大笑いしたのですが、写真を撮る間は十分あったので、あの可愛い姿を写せばよかったと後になって思いました😅
カラスも、余程暑かったのでしょうね。
ポール・ボキューズは間違いなく安定した美味しさで、どちらのお料理もとっても満足していただきました😋
本当はこの後兼六園に行く予定だったのですが、時間切れとなってしまい、金沢駅へと向かいました😰
駅で写したお写真は、2日目の富山から金沢に着いた時に撮ったものです。
金沢駅といえばとても印象深い鼓門(つづみもん)で、その堂々たる姿に圧倒されます。
(沢山の方達が写真を撮っていらっしゃいますので、その隙間を縫って撮るのは中々難しかったです)
金沢の伝統芸能である能楽で使われる鼓をイメージされているのですね。
金沢駅は、世界で最も美しい駅14の一つに選出されているのだそうです。
加賀藩5代藩主、前田綱紀は、工芸技術の育成に努め、各種伝統工芸の意匠、技術等の実物見本や雛形を集成し、分類整理して箱に収めた「百工比照」という資料を残しました。
新幹線金沢駅舎の待合室には、北陸新幹線金沢開業に際して県内の多数の産地組合等の協力を得て製作された30品目236点の伝統工芸品が壁面に納められていて、前田綱紀が残した「百工比照」にちなんで「百工の間」と名付けられています。
ガラスに自身や待合室で座っていらっしゃいます方達の姿がどうしても写り込みますので、極力それを避ける為、下手な写真が益々酷くてごめんなさい🙇♀️
金沢駅でお友達2人と解散し、それぞれの帰路につきました。
富山も金沢もとっても暑い3日間で、移動は全てタクシーだったものの、やはりかなり堪えました🥵
それでも風の盆をはじめとして心に響く、心に残る旅となりました。
風の盆の彼の地には、又戻りたいと強く思っています。
これは、3人共の共通の願いです。
そして金沢での大いなる反省点は、時間の配分が上手く出来ていなかったこと。
一箇所に時間をかけ過ぎた余り、思っていた所を回りきれなかったことです💦
ではありますけれど、十分満足しているのですけれどね💕
それだけ素晴らしかったということなのですが、又是非再訪したいと願っています。
4回にも渡ってお付き合い頂きましたこと、本当にありがとうございました。